古保利薬師・祖父

いろんな話が同時進行です。
これは私一人が楽しんでる話で、他人にはどうでもいい話かもしれません。
だから、覚書なんですね・・・。

子どもの頃から気になっていた地名があります。千代田町

私の実家は三原市小坂町
家のすぐまえに「やくっさん」という場所があり、子どもたちの遊び場でした。
今にも崩れ落ちそうな掘っ立て小屋のような建物があり、中には仏像が何体かあるらしいのです。
腕白な男の子が勇んで中に入っていくのですが、
「いびせ〜!」
と、飛んで出てきます。
私も覗いてみるくらいはしましたが、床も抜け落ちてるようだし、暗いし、もっぱら広場で遊んでいました。
でも・・・今思い返すと、その建物でお習字教室があったり、春の花祭りや(お釈迦様に甘茶をかけて、子どもたちはお菓子をもらえます。)
大人たちは寄り合いを持っているようでしたから、今で言う集会所のようなところだったのでしょう。
あるとき、広大の先生が学生たちを引き連れてやってきました。
「このあたりに、善根寺はないかい?」
と、尋ねられ、「?????」
「やくっさん」はどうやらお寺らしい、ということを、このとき知ったのです。
「やくっさん」にはりっぱな仏像があるらしいことも、だから、こんな田舎へ広大の先生が来られたんだという事も、おぼろげながらにわかってはきたけれども、でも、「やくっさん」を「善根寺」と呼ぶ人なんて一人も出てきませんでした。

この頃だと思いますが、祖父が「やくっさん」のことで動き始めます。
そしてあるとき、千代田町にいってくるというのです。
千代田町にはやくっさんと似たような寺があって、立派な仏像がたくさんあるから、参考に見てくる」

「やくっさん」がりっぱな薄桃色のコンクリート製の収蔵庫に生まれ変わったのは、私が中学生になったばかりの頃だったかと思います。
盛大なお稚児さん行列を行い、祖父の妹の嫁ぎ先のお寺からお坊さんに来てもらい、お経を上げてもらって完成を祝いました。

収蔵庫の中の仏像は、広島県重要文化財です。
重要文化財の割には、粗末な扱いだったな〜と、思い出だされます。

大人になって、それも30代を越えてから気付いたのですが、「やくっさん」は「薬師さん」がなまったものなのでしょうね。
仏像の中央が薬師如来、両脇に日光・月光菩薩、そのほか、30体くらいの仏像があります。
1000年以上も昔の仏像なのに、私が子どもの頃には本当に粗末な扱いでした。

県の重要文化財にふさわしい立派な収蔵庫が建てられたそのいきさつはよくわかりませんが、私の祖父が中心になって動いていたのは子供心に覚えています。
広大の先生は、収蔵庫を建てなさいと言われたかもしれません。でも、建立費を出してくれるわけではありません。
建立費の半分は県と三原市が出しています。後の半分は、町内に住む建設会社の社長さん。
建設費の半分を個人が出すなんて、すごいことです。
実は、この社長さん夫婦と、祖父は仲が良かったようです。
(私は小学生の頃、このおばさんのところへ踊りを習いに行かされたことがあります。)
行政がお金を出さないので、祖父は社長を一生懸命説得したのでしょう。
記念碑には世話人の三人の名前が入っていますが、一番働いた祖父の名前は一番後ろです。
母と、「おじいちゃんらしいね」と、笑ったのも、最近のことです。

地域の中に埋もれてしまいそうな文化を、大事に後世に伝えるために働いた(ボランティアですが)
祖父の姿を、とても誇らしく感じます。

その祖父が言っていた「千代田町には立派な仏像がたくさん残っているお寺がある」という言葉が、
千代田町を訪れたときに思い出されました。
千代田町としかきいていなかったので、寺の名前も、場所もわかりません。


歴史に詳しい方に聞いてみると、古保利薬師ではないかといわれます。
そういえば、道路沿いに看板が出ていたような気がします。いつか訪れてみよう、そう思っていました。