広島の歴史再発見

たいそうなタイトルをつけましたが、歴史というほどのことでもないかも。
今まで、見過ごしてきていたことに、たまたまいろんなめぐり合いの中で、気付かされ、
知ることができたというだけのことですが・・・・
私にとっては、興奮の日々です。

そもそもの発端は、週に一度「小河内」を訪問し始めてのこと。
なぜだか昔話の話になって、いきなり聞かされたのが「小河内弥太郎」。
紙芝居や紙芝居をDVDにしたものまで見せてもらいました。
伝説かと思いきや、実話だそうです。
これがひどく残酷な話で、こんな話を言い伝え続けてきた意図はなんだろう?と、
一人首を傾げる日々。

1300年代半ばのことらしくて、まさに戦国時代に突入寸前の、武家、小河内家の物語です。
物語というより、滅亡の言い伝え。
横川の合戦で小河内家の武将7人が勇敢に戦ったものの、皆討ち死にし、城の跡継ぎがなくなり、
武田(広島の)から18歳の弥太郎を迎える。
しかし、弥太郎も謀られて切腹し、その首を峠に埋めた、と。
身ごもっていた妻は逃げ延び、その妻も子も二度と小河内に戻ることはなかった。
その後、武田は毛利に破れ、従うこととなった。。。。。

何?これ。

が、第一印象。こんな話を何百年も言い伝えてきたのでしょうか。
しかも、「小河内弥太郎」という名前を聞いたときは、小河内の由来を伝えたものかと期待したので、
肩透かしを食らった気分です。

一つ面白いのは、弥太郎の首を埋めて弔った場所を「生首峠」というらしいのですが、ここの部分で、必ず
「ぎゃー!」という歓声?悲鳴?が沸き起こり、
「あそこじゃろ、あの峠じゃろ、」と、盛り上がるのです。
夏の肝試しのために言い伝えられてきたのかしら?って、思いたくなるほど、意味のわからない
残酷な話です。


ところで、話は変わって

先週、7月12日(日)大朝町へ行ってきました。小河内のHさんが、大朝で楽しそうなフリーマーケットが開かれるから、
一緒に行きましょうと誘ってくれたのです。
待ち合わせたのは「大朝わさ〜る」というところ。そこでぶらぶらしていて、ギョッとする看板を発見。

う〜ん、これもまたなんと残酷な話でしょうか。
学校の歴史では毛利元就は必ず出てくる武将ですが、こんな残酷な話は知りませんでした。
広島周辺を探して歩けば、こんな話はごろごろ出てくるのかもしれません。
あらためて、戦国時代のむごさを思い知らされる気がします。

江戸300年の戦のない社会は、あのような親兄弟が殺しあうむごたらしい世の中は嫌だという、人々の強い意志によって
成されたのかな?なんて、この頃考えています。

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さて、毎週小河内に行っているのですが、偶然、懐かしい方に出会いました。
中国新聞社の記者さん、佐田尾氏です。取材に来ておられたのです。
佐田尾さんは「宮本常一」の勉強会をしておられるそうで、さっそく私も参加させてもらうことにしました。
テキストは「庶民の発見」
たまたま私はこの文庫本を持っていたので(読みかけたまま、持っていたことすら忘れていました)
予習のつもりで通勤時間を利用して読み始めました。
「そうか!そういうことか!」
と、思わず手をたたきたくなるような箇所が何箇所もあります。
やはり、宮本常一は深い!

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12日は大朝でたっぷり遊んだ後、帰り道の千代田町で、昔から見てみたかった薬師如来の収められている
お寺の見学に立ち寄りました。
ここも、びっくりするくらいに面白くて、これは次回に書こうと思います。



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