古保利薬師

昨日、古保利薬師についてほとんど書き上げたところで・・・消えちゃった!何を書いたか忘れちゃった!なので、まずは写真から。
どが〜んとね、写真で説明。
大朝からの帰り道、千代田町で大きな看板のところを入ります。小さな山道を恐る恐る車で登りつめると、広〜い敷地に収蔵庫やお堂が立ち並びます。収蔵庫は入館料300円なので後回しにして、他のお堂から見てゆきました。

小さなお堂には阿弥陀如来様。

もう一つのもっと小さなお堂には、「おさすり菩薩」とあります。
 
この仏様、なんだか、可愛らしい。由来を書いたタオルも売ってあります。
仏様の前に、缶ジュースなどがお供えしてあるのが、なんともほほえましい。
庶民感覚いっぱいの菩薩様です。(菩薩様のイメージとなんか違うな〜)

ところで、ちょっと気になる石碑を発見。
 
「西本屋武一」とあります。
つい最近のこと。何を調べていたのか、何を読んでいたのか憶えていないのだけれど・・・
明治の初め、広島県下で「武一騒動」という大一揆があったことを知りました。
明治になってそれまでにない大きな一揆が起きたのは不思議に思えたのと、それ以上にわからないのは、一揆の起きた原因です。
廃藩置県でお殿様が広島を離れて上京しなければならなくなり、それを阻止しようとして農民一揆が起きたというのです。
・・・・・なんか、変じゃありませんか?
その点が私にはどうも引っかかっていて、いつか「武一騒動」について詳しく知りたいと思っていました。
その武一騒動を記念した?(それとも慰霊?)石碑をこんなところで発見して思わずパチリ。
なんだかよくわからないけど、となりにあった石碑もついでにパチリ。
映っているのは幽霊ではありません。私です。

さてさて、
この日(7月12日)私は車で上ってきましたが、参道を歩いてくるとこんな感じ。
 
素敵な石段です。
 
門をくぐりぬけ、もう一段、石段を上がると、目的の収蔵庫です。

収蔵庫に入る前に・・・・
両脇に、鳥居があります。鳥居・・・って、神社のシンボルではなかったかしら?
 
稲荷大歳神社だそうです。
で、反対側は
 
こちらは金比羅神社。。。。。なんか、節操無い。

やっと、目的の収蔵庫を見学。見学者はもちろん私一人。
係員の方が、ご丁寧にいろいろとご説明くださいました。
1000年も昔の仏像たちの数々に圧倒され、写真を撮るのがなんとなくはばかられました。
時間の経つのも忘れ、仏像の見方や、三原の私の実家の目の前にある善根寺との比較など、係員の方と随分話し込んでしまいました。
ついでに、「武一騒動」のことも訊いてみました。係員の方はしばらく考えて、「千代田町史に載っておりますよ」と、わざわざ分厚い本を取り出して記載されている部分を探してくださいました。
武一の突きつけた嘆願書は明治新政府を批判することであり、それはつまり天皇を冒涜することになり、極刑に処されたのだという。
なるほど〜、それならわかる。でも、そうなると、私が50年間教えられてきた歴史、信じ込まされてきた歴史の様子が一変しそうだ。
これはやはり、もっと詳しく「武一騒動」について読んでみなければ、と思い、古保利薬師を後にしたのでした。

暇な人は、是非行って見てください。





後日談
日食のあった日、私は再び大朝へ行きました。
そこで「武一騒動」の本を買って帰り、ただいま通勤時間を利用して読んでいる最中です。
古文書の部分がとっても読みづらいけど、おもしろい。毎日、ワクワクしています。