フィギュアスケート続き

ショートプログラムの坂本花織の演技がよかった❗️

ソトコワもシェルバコワもいいけど、この前書いたように、拒食症としか思えない選手の演技を観るのは辛い。4回転跳ぶにはあの細くて軽い体が必要なのだろうけど、私が観たいのはジャンプだけではない。

そう思っているのは私だけ?ではないかも。

異次元のロシア3選手の後、最終滑走が坂本花織だった。

彼女は日本人選手の中でも大柄で肉付きも良い。

その大きな体から繰り出されるスピード、ジャンプの飛距離は圧巻だった。思わずオオーっと歓声をあげてしまったほどだ。

ノーミスで滑った彼女は自己最高得点を叩き出し、3位に食い込んだ。素晴らしい❗️

ちょっと、点数高過ぎじゃないかとも思えますが、採点者の方々も、拒食症少女たちを見るのは辛かったんじゃないでしょうか。

 

女子フィギュアスケート

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ワエリア

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リプニツカヤ


ワリエワ選手のドーピングでオリンピックが揺れている。これは私見だけど、低年齢化についてもっと議論が必要ではないかと思う。

私は、フィギュアスケートをスポーツと言うより、ダンスとして楽しんで見ている。トップスケーターたちの表現は、スポーツを超えてアーティスティックなダンスとしか思えない。

私はスケートをTVでしか見ていないが、スケートの歴史は技術と表現力(芸術性)のせめぎあいのような気がする。採点化しにくい芸術性よりもスポーツは技術力、特にジャンプ。
ジャンプについて羽生結弦が面白いことを言っていた。
「9才の時に2Aを跳んで、4Aを跳ぶコツを掴んだ。ところが成長と共にジャンプのために力が必要となり、9才の時の感覚を忘れていたのが、今回戻ってきて僕は9才の自分と一緒に跳ぶことができた。」
素人の私にはよくわからないが、ジャンプには細い回転軸とスピードが必要らしい。
そのためには細い体が有利ってことでしょうか。なるほど、上位を東洋系選手が占めているのは人種的に細い肉体が有利ということかしら?
そして女子の低年齢化ということになるのでしょうね。
低年齢化で課題となるのが表現力。私が常々苦々しく思うのは、セクシーであることが表現力と勘違いしている選手がいること。15,6の小娘が濃い化粧で媚をうるダンスなんて気持ち悪いだけだ。トゥクタミシュワくらいになるとカーッコイイ!
15才で思い出すのはリプニツカヤ。初めて見たのはソチオリンピック前。13か14才じゃなかったかなー。こんなガキンチョのスケートなんて見たくない、と思ったが、意外や意外。感動した。その年齢でしか表現できないものだった。何だっけなー、マッチ売りの少女?
彼女の可憐さ儚さの表現に釘付けになった。
ところがソチの団体で金メダルを取った後、それまでの完璧な技術がプレッシャーに負けたのか、崩れていった。そして19歳という若さで引退。引退後に彼女は、拒食症だったことを告白した。
完璧なジャンプのためには細いからだとスピードが必要。そのためには成長前でなくてはいけない。ザギトワ平壌後に7㎝も身長が伸びたそうだ。
私は、大人になったリプニツカヤザギトワの美しい演技を観てみたい。

ところで、スケートはジュニアとシニアに分かれている。私は詳しくないが、たしか、30秒くらい時間が違うはず。30秒の違いは体力の差。どんなに4回転が跳べても、技術があっても、30秒余分に滑りきる体力が必要になる。これは私たち素人が考える以上に大変ではないだろうか。
羽生結弦でさえ、シニアに上がった当初は最後まで滑りきるのが大変だった。最後の決めポーズに倒れ込んだことさえあった。ソチオリンピックの時は顔が青ざめていて(隣にいたオーサーさんの顔が赤すぎたせいもある)貧血で倒れるんじゃないかと、心配してしまった。

話をドーピングに戻すと、15才で4回転ひっさげてオリンピックに出るためには、相当の無理を重ねただろうと思われる。薬を飲まされたんだろうな。残念です。

ヒットラーの大衆扇動術

Twitter上で、橋下徹氏とヒットラーについて荒れているようです。この手の話題はうんざりですが、その話題に関連して「ヒットラーの大衆扇動術」というものが紹介されていました。

それが、あまりにも今のコロナパンデミックに当てはまっているので、記しておきたいと思います。

 

 

◎ 大衆は愚か者である。

◎ 同じ嘘は繰り返し何度も伝えよ。

 (コロナは恐ろしい、感染防止にマスク、消毒、不要不急の外出禁止せよ、無症状者が感染を拡げる、ワクチンを接種せよ、)

◎敵の悪を拡大して伝え、大衆をおこらせろ。

 (未接種者が感染を拡げる非国民だ)

◎共通の敵を作り大衆を団結させよ。

 (未接種者を敵に)

◎人は小さな嘘より大きな嘘に騙される。

 (世界中を巻き込んだパンデミックは大きな世界的嘘)

◎大衆を熱狂させたまま置け。考える時間を与えるな。

 (次々と波が来る、そしてブースター接種)

◎利口な人の理性ではなく、愚か者の感情に訴えろ。

 (恐怖を叩き込まれた人々に理論は通じない)

◎貧乏な者、病んでいる者、困窮している者ほど騙しやすい。

◎都合の悪い情報は一切与えるな。都合の良い情報は拡大して伝えよ。

 (新型コロナワクチンは治験期間中であること、mRNAワクチンの危険性、副作用が多数出ていること、重篤な副作用が多いこと、長期的副作用については未確認であること、死者が多数出ていること、あげればきりがない。)

◎情報は拡大して伝えよ。

 (連日、陽性者数を発表して恐怖を煽る)

◎宣伝を総合芸術にしたてあげろ。大衆の視覚聴覚を刺激して感性で圧倒しろ。

 

以上です。

コロナパンデミックに当てはまらないものもありますけどね。

すごいですね。

世界中の人々を欺くその真意は何なのでしょうか?

 

 

科学的

小学5年生だったか、6年生だったか、理科の授業でのこと。

この先生の授業は面白かった。

実験の前に、どんな結果になるか、予想させられるのだ。

実験後に先生の説明があり、予想通りの結果が出たのか出なかったのか、なぜそうなったのか、先生の説明はいつも楽しかった。

おかげで、いつの間にか理科が好きになっていた。

その日の実験は、塩水を沸騰して蒸発させた時、湯気はしょっぱいか、どうか。予想は半々に割れた。私は、わからなかった。

みんなでチビリチビリ冷やして水滴となった湯気を舐める。

味がしない。量が少ないからかな~と迷っていたその時、リーダー格でお勉強の良くできる子が

「うん!しょっぱい!」

と、自信たっぷりに言った。

つられるように、次々皆が「しょっぱい!」と言い出した。

私は「味がしない。」と、言う自信がなくて、黙ってしまった。

で、クラスでは実験の結果、「食塩は水と一緒に蒸発する」という結論を出したのだが、当然のことだが、先生は烈火のごとく怒りだした。先生が怒ったのは後にも先にもこのときだけである。

私は黙っていたけど間違っていなかったのに、その事をひどく怒られた。最初に「しょっぱい!」と言った子より、それに追随してしまった私たちを強く戒めた。

 

あれから55年。

今ごろになって、あの時の先生が言わんとしたことがわかってきた。

非科学的な対応で作り出されてしまったコロナディストピア

市民が追随する限り終わらない。

いつか読もうと思って未だ読めていない寺田寅彦

随筆で、天災などの際に発生する流言蜚語を厳しくいましめているそうです。科学的に冷静に対処せよ、と。

「流言蜚語の現象は言い出した人々以上に、それに右往左往する市民の責任だ」

と、書いているそうです。

私は、日本のコロナディストピアは酷いと思っていたが、欧米はもっと酷い状況になっているらしい。

コロナ騒動が始まって、ありとあらゆるブログを読むなかで、荒川央(アラカワヒロシ)さんのブログを見つけた。

科学者として、せめて正しい科学的情報を、と、ブログを始められたそうだ。

いつもは科学的情報がほとんどだが、先日、初めてご自分の主観でイタリアの状況を書かれた。

それを読んで、私は涙が出るほど感動した。

専門家の先生がこれ程厳しい状況の中でも科学的情報を発信され続けておられるのだ。

誰に目をつけられることもない、誹謗中傷されることもない、ただのおばさんが、黙っているわけにはいかないでしょ!

勇気を持って発言しなくては。

「ワクチン打たないで!マスクはいらない!外出規制必要ない!ワクチンパスポートいらない!」

 

 

コロナ

コロナ騒動が始まって1年半が過ぎた。

ひどい社会になったもんだ。

私は、75年前にタイムスリップして非国民扱いを受けている錯覚に陥っている。

どこにも吐き出せない鬱々としたものを発散させるため、読まれる可能性の低い、この休止状態のブログを選んだ。

 

なぜ、世の中の人々はこのコロナ茶番を見抜けないのだろう?

統計数字やこれまでの家庭医学の常識で考えれば、コロナはそのうち終息するであろうことは目に見えていた。

ところが、それが大きな間違いであることに気付き始めたのは今年4月半ば。家庭置き薬の営業マンとの会話だった。

コロナで騒ぎ過ぎだよね~、なんて会話から、ワクチンの話になった。

営業マンの話によると、最近はこどもへのワクチン接種が増えているそうだ。孫たちも次から次へと打っていて心配だ、などと話していたのに、帰る間際になって、

「そうは言ってもね、私はコロナワクチン打ちますよ。営業で回っていても、皆さん打つとおっしゃっています。出会った人で打たないと言う人は貴女だけですよ。多分、100人のうち一人か二人じゃないですか?」

この言葉はショックだった。

今年65才になる私(そういえば今日が誕生日だ)のもとには、接種券の予約表が届いた。私は「打ちません」に○をして、「一番の予防は自己免疫力を高めることです。」と、一筆添えて返信した。

 

今回のコロナワクチンは未だ治験が終了していないことは最初からわかっていた。だから、ワクチン購入決定当時の安倍総理は「国が補償します❗」と、大見栄を切った。

信じられない❗

治験の終わっていない薬を、しかも健康な人々に打つ薬ワクチンを国が無料で国民に打つとは!これこそ治験ではないか。

 

あー、だめだ。言いたいことが山ほどある。

ワクチンパスポート?マスク、消毒の強要、自粛、移動の制限、マイナンバーカード、デジタル管理

なんだこれ!日本は全体主義に進もうとしてるんじゃないの?

 

そう、怖いのは、平和団体までもがその流れに乗っていること。

野党しかり。

コロナを政権批判の材料にして、コロナ茶番を解決しようとする姿勢は見えない。政権批判の材料にしてしまうと、社会はますます管理を強める方向へと進む。

オリパラは終わったが、オリパラを批判する勢力はコロナを利用していた。「コロナ禍の中で開催するとは、命を軽視している」と。

批判される政権はオリパラを利用してワクチン接種を進めた。「オリパラまでにコロナを収束させるためにワクチン接種を進める。」と。

 

ネットで探せば真実はゴロゴロと提供されている。

ところが、ネット情報はフェイクと決めつけられ、TV、新聞報道のみが正しいとされる。TV、新聞がフェイクと言うのではない。正しい情報を恐怖を煽る方向へ誘導している。

一体、世の中どうなっちゃったんだろう?

私は架空の世界へ迷い込んだのか?

 

9月入学

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父の同窓会名簿

もう5月。1年の半分近くが過ぎたというのに、今年は年明けから新型コロナウィルスに世界中が振り回されている。

緊急事態宣言で自粛、学校も閉鎖されている中、「9月新学期」が急浮上してきた。その良し悪しは私にはわからない。

 

ところで、写真は亡き父の同窓会名簿だ。父は中国、青島に生まれ、小学生時代は天津で過ごし、中、高等教育は大連で受け、終戦をむかえた。

父は、大連高等商業学校の第7回の卒業だ。

父の兄(私の叔父)は第3回の卒業。

この同窓会名簿に載っている叔父や父の名前を探しているうち、ある事実に気付いて胸がいたくなった。

以下、この同窓会名簿に記載されている卒業年月を並べます。

 

第1回 (昭和15年3月卒業)

第2回 (昭和16年3月卒業)

第3回 (昭和16年12月卒業)

第4回 (昭和17年9月卒業)

第5回 (昭和18年9月卒業)

第6回 (昭和19年9月卒業)

第7回 (昭和20年8月卒業)

第8回 

第9回 (昭和×年×月卒業)

 

気づいたでしょうか。

第3回は12月になっています。昭和16年12月といえば真珠湾攻撃、太平洋戦争開戦です。そして父の卒業第7回は昭和20年8月、敗戦の時です。

若者たちが、戦争という、国家非常事態に翻弄されたことが、この薄っぺらな冊子からも見えてきます。

 

今回の9月新学期制度への移行は、概ね賛成者が多いようですが、当事者である子どもたちには不評のようです。

それは、9月新学期の良し悪しというよりも、国家非常事態に子どもたちを利用するな、という当事者たちからの本能的な声ではないかと、私には思えます。