画家、五姓田芳雄

皇后様の絵を描いたのは五姓田芳雄とある。
この名前で検索しても納得できる人物はでてきません。

美術史に詳しい人であれば、五姓田といえば
五姓田義松を思い出すかもしれません。
(私は美術好きだけど、知らなかったなぁ・・・)
義松は、高橋由一と並び明治初期の画壇を代表する人物です。

この義松の父親が芳柳。
芳柳は1827(文政10)年生まれ。
歌川国芳に師事し、後に狩野派にも学ぶ。
1858年、洋風画を描いて生計を立てることを決意、
肖像画の依頼が舞い込み、著名となってゆきます。
1873年には明治天皇肖像画を手がけるほどになり、
1874年には「西洋画工」と自称して油画興業を、
息子の義松とともに行います。

この五姓田塾に1878年(明治11)入門してきたのが
倉持子之吉。
子之吉は義松に師事しますが、1880年(明治13)義松の渡欧により、
初世芳柳の養子となり芳雄と改名します。
1885年(明治19)「芳柳」の号を芳雄(倉持子之吉)に譲ります。

と、いうことで、
「芳雄」は1880(明治13)年〜1885(明治18)年の間の倉持子之吉、
後の芳柳二世ということになります。

・・・皇后様の絵は、明治13年から18年の間に描かれたということでしょうかね?

この三人の五姓田の名前はほとんど聞き覚えはないでしょうが、
でも、ほとんどの人は歴史の教科書でこの三人の絵を見ているはずです。
歴史の教科書には必ず出てくる絵なのに、その画家の名前が知られていないと言うのは
不思議なことですね。


広島ブログ


明治30年頃に五姓田芳柳(二世)が描いた安部正弘の肖像。
  肖像画というものの、安部正弘は明治時代にはすでにこの世にはいません。
  似ているといわれた親戚の人をモデルにイメージで描いたらしい。
  この絵の白黒写真は歴史の教科書でよく見るでしょ?
  絵の出典は
http://wp1.fuchu.jp/~sei-dou/rekisi-siryou/00019masahiro-shouzouga/00019masahiro-shouzouga.htm