食べることへの執念

毎週一回、湯来町へこんにゃく作りのお手伝いに通っている。
こんにゃく作りだけでなく、その時々で、いろいろなお手伝いをしている。らっきょの皮むき、苗の植え付け、野菜きり、ふきのすじとり、等など。
先日は栗ご飯の仕込みで、栗の皮むき。これが、大変な作業。
硬い皮は包丁を使って剥くけれど、りんごの皮を剥くようにはいかない。力を入れるので指の関節が固まってしまいそうな感覚になる。
それが終わったら次は渋皮をとらなくちゃいけない。
これがまたとてつもなく面倒な作業。
いつ終わるとも知れない作業を黙々とこなす。
作業しながら思った。
栗を食べるのは執念だなって。
この一粒の栗を食べるために、どれだけの時間がかかることか。
栗だけではない。
らっきょも、ふきも、黙々と作業をしなければいけない。
湯来町で昔ながらの作業をしていると、私たちの祖先がどんなに食べることに心血注いできたかがよくわかる。
若い頃、何のために生きるのだろう?なんて、気取って考えたりしてたけど、お嬢ちゃまだったんだな〜。
今なら、堂々と言います。
食べるために生きてるんです。ってね。

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