チェルノブイリから何を学んだか

あの事故から23年が過ぎようとしている。
人類史上最悪の事故だろう。この事故をきっかけに私は脱原発運動にのめり込んでいった。子どもがまだ3歳で、原発の撒き散らす放射能が恐ろしくてしょうがなかった。
日本に住んでいる私でさえ味わった恐怖。現地の母親たちの不安はどんなに大きかっただろう。
事故から10年経った1996年、私たちはフォトジャーナリストの広河隆一さんが立ち上げたチェルノブイリ子ども基金に賛同して、広島で「チェルボナカリーナ」のコンサートを行い、救援金を集めた。
その後も微力ながら子ども基金を通じて救援を続けてきた。

正直、くたびれた。事故後20年を区切りにいったん私たちは解散した。

20年経ったのだから、ある程度は落ち着いたのではないかと、自分たちに都合のいいように考えてしまった。


昨年末、ひょんなことから広島大学原爆放射能医学研究所で教授をされていた佐藤幸男先生との出会いがありました。
佐藤先生は放射線奇形学が専攻で、事故後1990年に被災地を訪れ、その後
途切れることなく医師として救援活動を行なってこられた方です。

せっかくだから、先生のお話を聞かせていただこうということで、18日、日曜日にカトリック観音町教会で小さな会を持ちました。

原発について、チェルノブイリについて、多少は勉強してきたつもりですが、被災地に赴いてず〜っと救援治療に当たってこられた佐藤先生のお話を聞くにつけ、いまさらながら、事故の重大さに心が痛みます。

事故後、何年経ったころでしたか(4〜5年でしたか?)チェルノブイリの事故評価について騒然となったことがあります。
IAEAが、それほどひどい健康被害はない、と発表したのです。
この発表には広島の医師たちが協力したのです。
なぜ、広島の医者たちがあんなひどいことを言ったのか、当時私たちは随分抗議したものです。
佐藤先生は、「小児甲状腺がんが増えているのは事実なのに、どうしてあのような発表になるのか今もってわからない。」
と、首を傾けられます。その態度には怒りや糾弾するような姿勢は微塵も無く、私としては肩すかしにあった気分です。

が、それは間違いでした。
最後の最後に、みんなの質問に答えるうちにボソッとつぶやかれました。
「当時、広島の医者が集まって、この評価について議論しましたが、みんなIAEAを支持して、小児甲状腺がんが増えていると言ったのは私を含めてたったの3人でした。当時、なぜだ?と、随分悩みました、自分が間違っているのだろうかと。寝汗をかくくらいに悩みました。」

公的機関や体制や権力に擦り寄る医者が多いなかで、佐藤先生は「現場の声を聞け」と、何度もおっしゃっていましたが、あくまで現場主義。

その後、小児甲状腺がんはごまかしようの無いくらいに増え、IAEAも、WHOもすべての公的機関は認めざるを得なくなったのです。

公的機関が事故を過小評価したがるのは、どうも、今後の補償問題があるからではないかということです。

私が今回ショックを受けたのは、事故後20年も経ち、事故の重大さも世界中の人々に認識されていると思っていたのに、IAEA、WHOなどで構成されるチェルノブイリフォーラムで、「先天異常はない」と、発表されたことです。とんでもありません。佐藤先生の調査では確実に増えているのです。なぜ、こんな逆の発表になったのか、そのからくりをお話いただきました。乱暴ですが簡単に言うと、調査区域を非汚染区域にまで広げ、分母を増やしたのです。
どうしてこんな重大なことをマスコミは発表しないのでしょう。
・・・世の中の関心が薄れたということでしょうか・・・ならば、活動をやめてしまった私にも責任はあります。

20年経った今も、チェルノブイリは終わっていないことを、佐藤幸男先生のお話でよ〜くわかりました。
終わっていないどころか、ますます大変なことになりつつあります。

放射線に被曝するとガンや先天異常などが調査されますが、今現地で子どもたちに増えているのは慢性疾患だというのです。
慢性疾患なので、調査対象から外れます。
病気・虚弱な子どもたちが事故後増え続けているというのです。

ウクライナ政府の統計では、この20年間になんらかの慢性疾患に侵されている子どもの割合は86〜87年8%(事故は86年4月)2000年55%、04年78%と増加し続けているのみならず、発病の若年化が見られるそうです。

78%もの子どもたちが・・・言葉も出ません。



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