光母子殺人事件判決に関して

日本中の関心を集めたこの事件。
ここまで関心を高めたのは、被害者遺族、本村さんの功績だろう。
本村さんの活動のお陰で、被害者遺族のおかれていた状況が多々改善されてきた。
被害者とその遺族救済の社会的機運も出てきた。
そういう意味で、本村さんの活動には敬服する。

しかし、裁判においては、本村さんの感情に同調してしまってはいけない。
今回の裁判は、本村さんの報復感情がマスコミを通じて増幅され、日本全国が犯人の死刑を望み、死刑を避けようとする弁護団を極悪人であるかのように糾弾した。
日本全国がヒステリック状態に陥ってしまったかのようだ。

報復というより、私たち日本人には「仇討ち」というほうが、感覚的にはぴったり来るかもしれない。
「仇討ち」を望むなら、裁判はいらない。
弁護団を糾弾する人々の声は、裁判なんか必要ないという声に聞こえる。

残念ながら、この社会には多くの犯罪が起こっている。
この犯罪者たちに更生の余地はないのか、
起こした犯罪に対して、どの程度の量刑が妥当なのか、
様々な材料を出し合って検討してゆくのが裁判なのではないのだろうか。


来年から、いよいよ裁判員制度が始まるが、今回のヒステリックな感情に振り回された報道や判決結果を見ていると、
空恐ろしくなってくる。

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